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第22回 達人

「子どもたちの明るい未来を願って①」
岩井恵澄さん

(社会福祉法人あいじ福祉会 理事長)

第22回 達人「子どもたちの明るい未来を願って①」岩井恵澄さん

美しい日本の四季

あいじ福祉会 理事長 岩井恵澄さんと子どもたち

黒部市内で2つの保育所を運営する「あいじ福祉会」。その理事長である岩井恵澄さんは、9歳のとき実家ちかくの尼寺「東信庵」の養女となり、曹洞宗の厳しい修業を積まれました。昭和25年(1950)に駒澤大学専門部仏教科を卒業後、教師・保母生活を経て、昭和30年(1955)11月にハワイの曹洞宗別院へ開教師として派遣されたがです。
ハワイは年中半袖で過ごせるほどの常夏の国。岩井さんは、日本を離れて初めて、四季の変化の素晴らしさに気づいたとおっしゃいます。「移り変わるというのは、仏教でいう『無常』、つまり時間はとどまることがない、ということを日本の四季は気付かせてくれます。私たちの体のなかには、そういう四季を刻む時計というか、四季の色というか、感触が染みついているんですね。普段は気づかないけど。」
ハワイにいたとき、ふと頬をなでた風に、日本の秋の気配を感じて懐かしさに思わず涙がこぼれたことも。「移り変わる季節のなかで、いま、このときを大切にするという感覚は日本人の心に共通している。四季折々の美しさがあって、そんな日本に生まれたことを誇りに思います。」

市姫:当たり前のように感じとるがですけど、四季を五感で感じることは、幸せなことながですね。

足もとの幸せ

ハワイでは、まだ戦争の爪あとが残り、日本人の移民は過酷な環境で重労働を強いられていました。「たいへんな状況だったけれど、それでも『一生懸命生きた』、『いい人生だった』と思って最期を迎えてもらいたかった。」布教活動のかたわら、日本文化を求める人たちにお茶やお花を教えることもあったがだそうです。
「明日、もっといいことがあるんじゃないか、ここよりもっといい場所があるんじゃないか、という思いがあるからこそ、人間は夢を持って生きていけるけど、本当の幸せはすぐ足もとにある。ハワイに行って、そのことに気づいたんです。私自身、86年生きてきて、不足はひとつもなくて、花マルばっかり、感謝でいっぱい。」
女性がアメリカへ行くのも珍しい時代だったとはいえ、お寺での仕事は男女の区別なく、遠距離の布教も、夜の当番でも、長距離の運転でも、男性と同じ仕事をされとった岩井さん。当初3年の予定だったハワイでの生活は15年半にも及び、ハワイで骨を埋めようかと思っていた矢先、交通事故に遭い、帰国することになったがです。

本当の幸せはすぐ足もとに

お母さんの遺言

帰国したとき実家のお母さんはすでに他界されていましたが、娘のために田んぼを残しておいてくれたがだそうです。「あの子は帰ってきたら、きっと何か人の役に立つことをするはずだから。」というお母さんの思いを知り、「私、やっぱり何かしなくちゃいけない。」と思った岩井さん。東信庵で農繁期の季節託児所を開いていたこともあって、保育所を設立することに決め、準備に奔走する日々が始まりました。
「その頃、田んぼに忙しいお母さんたちは、農作業のあいだは子どもをカゴに入れたまま畦に置きっぱなし。アメリカではそんなことはしないので、余計に気になって。小さくても大事ないのち、我慢させてはいけないと思いました。」
当時、公立の保育所は集団生活ができる3歳以上の子どもしか入れず、乳児を預かってくれる保育所はなかったがです。岩井さんは身近な現実を見るにつけ、ゼロ歳から預かれる保育所こそ必要だという思いを強くしていかれたがです。

岩井恵澄さん