富山・黒部・宇奈月・魚津・入善・朝日のことを教えて、達人!黒部講座

恵みの多き富山 黒部の里。美しい自然に囲まれ、おいしい海の幸・山の幸が満載のまちです。そんな土地を知り尽くした達人たちに、暮らしのなかで感じる魅力を伝授してもらいます。

第35回 達人(1/2)

「生地、北海道、北方領土を結ぶ歴史といま」

四十物直之さん

生地の浜から北の大地へ

北海道の東側の海に連なる千島列島。その中の歯舞(はぼまい)群島・色丹島(しこたんとう)・択捉島(えとろふとう)・国後島(くなしりとう)の四島を、北方領土と呼んでいます。
皆さんは、富山県がこの北方領土や北海道と深い繋がりがあることをご存知でしょうか?今回は、黒部市生地にある株式会社の四十物(あいもの)直之代表取締役にその繋がりと歴史などについてお伺いしました。
明治30年代、この北の地へと富山県から多くの人々が移住しました。(青森県や秋田県などに次いで5番目)。これには売薬や、北前船(江戸~明治時代に、北海道から北陸を経由し、大阪、江戸へと米や魚を運んでいた船)との関係が指摘されています。生地からも、漁民たちの生活が苦しかったこともあり、移住する者がたくさんいました。まず利尻島へと向かった生地の人々は、ここで大きな儲けがあることを耳にします。そこから根室や歯舞群島、他の島々や知床半島の羅臼へと行きました。いずれも自然が厳しい地域でしたが、だからこそ豊富な魚や良質の昆布が採ることができ、彼らは次々と成功していきました。
四十物さんの祖父・幸作さんも20歳で利尻に渡り、商人として生計を立て、昭和10年頃には網元として鰊(にしん)漁をはじめておられます。

富山県と北海道には深〜い絆があるんじゃ!!
北方領土への思い
国後島

大学生のとき四十物さんは、父に連れられ納沙布(のさっぷ)岬を訪れました。すぐ間近に見える島々が日本の地でありながら、ソ連の地と言われている事実を知り大きく驚くと共に、北方領土問題に対して興味が湧いたそうです。また、実家の昆布店を継いだ頃新たに発足した黒部青年会議所に入会、27歳の時には北方領土委員長に就任しました。さらに日本青年会議所北方領土委員会に出向、富山ブロック協議会の北方領土委員長も務められ、また、黒部のメンバー19名と共に知床半島や羅臼を回られました。1994年6月に実施された四島交流(ビザなし交流)では、直接北方領土へも上陸されました。
「北方領土の問題は、実際に行って自分の目で見ないと分からない」とおっしゃる四十物さん。また、「両親や地域、国を大切に考え、日本の歴史や文化を大事にする。そして自分の国を自分達できちんと守らなければならない」とも語る四十物さんだからこそ、北方領土問題に対するご自身の意見も明確です。
現在日本は、北方四島すべてを日本固有の領土と主張しており、ロシアに返還を求めています。返還に際し様々な方法や段階論が語られていますが、四十物さんは、日本が千島列島や南樺太も領有していた長い歴史の中で考え、その視点から主張しなければならないとおっしゃいます。

北方領土
まるで現代のお侍さんのような素晴らしいお方じゃ。じぃも見習わねば!

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