富山・黒部・宇奈月・魚津・入善・朝日のことを教えて、達人!黒部講座

恵みの多き富山 黒部の里。美しい自然に囲まれ、おいしい海の幸・山の幸が満載のまちです。そんな土地を知り尽くした達人たちに、暮らしのなかで感じる魅力を伝授してもらいます。

第26回 達人(1/2)

「みんなで踊ろう!新黒部踊り」

寺崎博さん、高山順子さん

 ・寺崎博さん (黒部民謡友の会)
 ・高山順子さん (高山舞踊研究会)

新民謡で地元をPR

富山県には「越中おわら節」、「麦や節」、「こきりこ節」など日本を代表するものをはじめ、数多くの民謡があるがです。そもそも民謡というのは、その土地独自の口伝えで語り継がれた伝統的な歌のことを言うそうで、黒部市には古くから東布施地区の「布施谷節」や生地地区の「しばんば」といった民謡があります。布施谷節は江戸時代の初期から中期にかけて新川地区で盛んだった木綿の加工業の糸引き歌として、作業にあたる女の人たちの間で歌われとったとか。民謡は、生活をしていく上での感情や情景を素朴に歌にしたもので、生活の中から自然とうまれてくるものながです。布施谷節は、歌のふし廻しが糸引き車を廻しながら歌うのにぴたりと合ったがですよ。
大正時代から昭和時代初期に入ると、民謡とは別に、地域おこしや名産品などをPRする目的で民謡風の新曲を作る動きが日本各地で見られるようになりました。新民謡といわれるこのジャンルは、今でいうご当地ソングの様なものながですけど、当時の黒部でも流行にのって新民謡が作られたがです。

市姫:一口に民謡と言っても、時代や地域でいろいろな特徴があるがですね~!
花街のお座敷唄から新民謡
花街のお座敷唄「謡越中三日市音頭」昭和10年撮影

黒部市の中心街の三日市は、古くから交通と商業の要所として宿場町と市場町の二面性をもって栄えてきたところながです。明治時代に入ると、三日市の桜町という地区を中心に女の人が接待してくれる飲食店ができ始めました。大正時代には桜町に料亭や芸妓さんの置屋などが増え、昭和5年ごろには最盛期を迎え、花街として栄えたがです。そんな中、料亭の経営者がお座敷唄として場を盛り上げるために作ったのが、新民謡「越中三日市音頭」やったがです。
三日市音頭は、三日市の特産物であった新川木綿や桜の名所を歌詞にとりいれ、昭和38年(1963)ごろまで親しまれました。その後「くろべ祭り」ができたことをきっかけに、より明るく大衆的な踊りの「黒部おどり」にリニューアルしたがですよ。黒部おどりは毎年10月に行われるくろべ祭りで町流しが行われ、各商店と町内会が一丸となった甲斐あって、町中を埋め尽くすほどに大盛況やったとか。昭和58年(1983)からは黒部市全体に呼びかけがあり、多いときには600人以上の踊り手の参加があったがですよ。

じぃ:なんともはなやかですのぅ!
くろべ踊りから新黒部踊りへ

多くの参加者でにぎわったくろべ祭りの町流しですが、主催していた三日市商盛会連合会メンバーの高齢化などで、だんだん衰退していったがです。踊り子の多数をしめていた各地区の婦人会がなくなったこともあり、くろべ踊りが披露される機会もなくなっていったがですよ。その後は、くろべ祭りに代わってくろべ納涼楽市が行われるようになると、団体や個人での参加による越中おわら節やヨサコイが中心になってお祭りを盛り上げとったがです。そんな中、旧黒部市と旧宇奈月町が合併し5周年の節目を迎えた平成23年(2011)、新しくなった黒部市の魅力を伝える踊りを作ろうという動きが黒部市芸術文化振興協会を中心に広がり、新黒部踊りが作られることになったがです。
新黒部踊りは黒部おどりを元に作られ、馴染のあるメロディーはそのままに歌詞や振り付けは大幅にリニューアルされたがです。新黒部踊りについて教えてもらおうと、作詞を担当された黒部民謡友の会の寺崎博さんと、振り付けを担当された高山舞踊研究会の高山順子さんにお話を聞きました。

黒部民謡友の会 寺崎博さん、高山舞踊研究会 高山順子さん

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